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マカロニ2、AAO

■001話 新生マカロニ軍団参上の巻 80/05/19(21号)

「マカロニほうれん荘」終了後の作者の執筆状況は以下の通りである。

 79年9月   「マカロニほうれん荘」 終了
 79年12月  「ミス愛子」 開始
 80年3月   「ミス愛子」 終了
 80年4月   「ドラネコロック」 終了
 80年4月   「マカロニ2」 開始

「マカロニ2」の連載開始は「マカロニほうれん荘」終了の約半年後だ。休む間がなく、短期間で成果を要求され過ぎな気もする。さてこれを頭の隅に置いて。

まず絵柄の違いが目につく。きんどー・馬之介はほぼ変わらず。膝方は顔が少し痩せた。そうじ・かおりなど周囲の人物はミス愛子後半で見られる少女マンガ風になっている。ただキャラクターの性格や位置付けが同じせいかさして違和感はない。
「ほうれん荘」終盤で起こった出来事はひとまず不問に付されている。
そうじはまだほうれん荘に住んでおり4話の服装からは高校生である。ほうれん荘やアップルハウスがきちんと描かれて生活感はしっかり在る。結局はそれも持続しなかったのだが、1話の時点ではかつての感じがやや再現している。TVのホームドラマ的なセンチメンタルで甘い雰囲気もある。

5ページ1〜4コマ目:スピルバーグ監督の映画「ジョーズ」のオープニングをパロディーにしている。

9ページ6コマ目:「大変、大変!」と言う役はここでも雅子さん。

13ページ6コマ目:この回から読む読者もいるだろうからこれでいいのかも知れないが、そうじのセリフとしては薄い。そうじには言葉にできない思いがある筈。

14ページ1コマ目:マカロニ2において非人道的な行いは主に馬之介が担っている。

19ページ5コマ目:「マカロニ2」ではこの家にきんどー・膝方・馬之介が住むことになる。これは「ほうれん荘」と決定的に違う点。

■002話 天才は非凡にして孤独なりの巻 80/05/26(22号)

そうじが絵画教室に通っている。「ほうれん荘」では高校の美術部だったが設定を変えたのか、両方やっているのか。かつてクラスでの授業で写生会の話はあったが美術部を舞台にした回はなかった。

25ページ2コマ目:テディ・ボーイ・ギャング団も装い新たに。皆髪の毛が短く、整髪料のテカリも目立たなくなった。

26ページ1コマ目:「八雲の契り」は明治時代の春画。

26ページ3コマ目:絵画教室にはそうじの友人もいて、生活空間の広がりはある。こういうチョイ出の人がいるのといないのとでは大違いである。

36ページ:松竹の芸人が出演していた公開番組「あきれた学園」のラスト「あきれた学園、おわり〜」というのを連想する。

■003話 アップル・ハウスは大盛狂の巻 80/06/02(23号)

素直に読めば、かつての常連メンバーによる仲の良い雑談が楽しめる、それだけで十分嬉しい回。ただ、七味とうがらしに関する話題が全く出ず無かったことになっている感じがする点は「ほうれん荘」全話を読んだあとでは不自然さも感じる。リセットして都合の悪い所は切り捨てており、必ずしも続編としてつながっているわけでもない。
そういう固いことを言わなければ、こういう生活の場が描かれている回は非常に心が和む。だが、この時の作者にとって今までのようにアップルハウスなどを描くことは苦痛だったと見え、この後どんどんそういう「場」から離れてゆく。

40ページ3コマ目:ローウェル・ジョージはスライドを得意とする米国のギタリスト。フランク・ザッパのバンドを経て69年にリトル・フィートを結成。79年自らバンド解散宣言を出した直後に死亡した。1コマ目の「ダウン・オン・ザ・ファーム」は残ったメンバーがレコーディング途中のテープに手を加えて同年11月に発表した言わば追悼アルバム。

42ページ3コマ目:かおりの声だと思うが、膝方のために怒ってやるのは珍しい。

43ページ2コマ目:「アンジェリーナ」は80年3月発表の佐野元春のデビューシングル。この回は同年6月頃なので本当にデビュー直後だ。

43ページ5コマ目:七味の件は別にしても、相変わらずルミ子が膝方にイノセントにベタ惚れということになっていて、続編として見ればちょっと引っかかりを感じる。他に描きようのない気もするけれど。また、この回のルミ子は少し幼く見える。彼女の精神年齢は作者にも調節が難しいのかも。
由紀子の結婚はなかったことにはされていない。

44ページ6コマ目:曲名わからない。

44ページ7コマ目:スペシャルズは当時注目を浴びていた英国のバンド。レゲエの古い形態であるスカを基調として、それにパンク/ニューウェイブを結びつけたようなバンドである。ライブアルバムとは80年1月に発表されたEP「Too Much Too Young」のこと。

45ページ:ここに出てくるアルバムは全て実在する。作者の愛聴盤の一部だろう。

■004話 路地裏ブギウギの巻 80/06/09(24号)

きんどー・膝方が商売するカテゴリー中の一つで、ガラクタや得体の知れないものを売っている店という設定。ドラネコロックにも似た回があった。だが、商品の中にあまりに非道いものがあり、愉快に思えない。

扉絵:ジェネシスのアルバム「デューク」(1980年)のパロディーと思しい。

62ページ4コマ目:馬之介が人間を攫ってくるアイデアは64話にも見られる。しかし64話は駄菓子屋をキャバレー風にするというごっこ遊びであり攫われてきた女の子達も遊びに参加してくれることでギャグになっているのに対し、今回は真面目に人身売買を企てている。何故こんなことになったのか、悲しい。

63ページ1コマ目:膝方が常識的になっている。そうじに近づいているというべきか。かつてのちょー人ぶりは鳴りを潜めている。

63ページ2コマ目:ロドファーフィルムはロドファーという女性がアダムスキー型の空飛ぶ円盤を撮影した8ミリフィルム。

66ページ5コマ目:意味の曖昧なオチだが恐ろしげだ。

■005話 反逆者たちの昼下がりの巻 80/06/16(25号)

麻薬が誤って配達されてくる話。自らのスウィートでお伽話的な持ち味を否定するかのような素材が続く。作者が本当に過去の自己を一度解体したかったのかも知れないし、あるいは編集部からヤンキー読者にも訴求するようなワルらしいアイデアが欲しいと言われこういうものが出てきた可能性もある。

73ページ6コマ目:当時のCMのもじり。バイクは絵として非常に上手いが似せてはいない。

■006話 サンバでサバイバれ!!の巻 80/06/23(26号)

良くない。理由は書くまでもなかろう。と言っても36年前は私も軽い気持ちで読み流していた。

87ページ1コマ目:膝方がそうじと同じ側にいる。

87ページ4コマ目:このギャグは面白い。

89ページ2コマ目〜93ページ8コマ目:この5ページほどはかつての雰囲気が再現しており面白い。

■007話 GIブルースの巻 80/06/30(27号)

「GIブルース」は勿論エルヴィス・プレスリーの曲名/主演映画名。
食い逃げはほうれん荘時からしばしば取り上げられてきたネタであるが、今回は視点がいくつもあってピリッとしない。アップルハウス、商売、銭湯、食い逃げとかつてのカテゴリーの再解釈が続く。

101ページ3コマ目:同じギャグが「ほうれん荘」52話にある。

■008話 不死なる天使を追え!!の巻 80/07/07(28号)

マンガ的ストーリーは殆どなく、作者の戦争論・憲法論・国家論がキャラクターの口を通して語られる異色回。けっこう記憶に残る。オープニングやラストシーンから見て、きんどーの立場や馬之介の最後の発言が作者個人の意見と思える。

114ページ2コマ目:ほうれん荘に比べ瀟洒な家だ。

114ページ5コマ目:雑誌掲載時には「総理大臣」は「大平さん」となっていたように記憶する。「おかしな約束」とは当時の大平正芳首相が80年5月の訪米で防衛費増額や福田前政権の全方位外交から対米協力強化への転換を確認したことだろう。

■009話 洗礼者ヨハネ風しつけ!!の巻 80/07/14(29号)

洗礼者ヨハネはイエス・キリストに洗礼を授け、影響を与えた宗教家。
所謂「ガロ的」な作風である。マカロニファンの期待するものとは違うだろうが、ここまで絵やストーリーをちゃんと崩せるのはすごいとも言える。マカロニほうれん荘の続編と思わなければこれはこれで面白い。

■010話 ゼロ・ポイントで勝負の巻 80/07/21(30号)

当時注目/問題視され始めていたロリコン男をほうれん荘期のキャラクター中嶋麻美ちゃんに絡めて描いている。時代を切り取っているとは言える。

■011話 国栄えてわが園滅ぶの巻 80/07/28(31号)

これもある種「ガロ的」な作風だ。動物はじめ絵のかわいさとえげつない笑いのマッチングがいい。きんどーさんの四白眼も非常に効果的だし、コマの横方向の隙間だけベタになっているのもセンスを感じる。マカロニほうれん荘の枠内に入れるとなると違和感があるが、一編のギャグマンガとしては十分に面白い。9話やこの回を読むと、マカロニほうれん荘というフォーマットは作者の追求したい、より刺激的な笑いには合わなくなっていたのかも知れないと思える。渥美清が寅さん以外の役を演じづらかったように、自分の創り出した世界が人々に受け入れられ過ぎてその後の自由が制限されるクリエイターはしばしばいる。

165ページ1コマ目:「熊殺し」と言われた空手家ウィリー・ウィリアムス。

■012話 思い出は回るメリーゴーランドの巻 80/08/04(32号)

漫画史に残る傑作最終回。
「ほうれん荘」はコンサート本編で「2」はアンコールと考えると、この回はマカロニほうれん荘の最終回でもある。マカロニほうれん荘には最終回が2回あることになる。あるいは「ほうれん荘」はアルバム本編で「2」はボーナストラックとも言える(ボーナストラックと思えばさほど面白くない回もそれなりに楽しめる)。
かつての名場面を描き直した絵が多いが描き下ろしもあり、描き下ろした絵はほうれん荘中期あたりのタッチに戻している。その辺りの絵が最も人気があったとファンレターなどで作者もわかっていたのだろう。
結局のところマカロニ2は3人が帰って来たという報告がされただけだった。マカロニほうれん荘の日常で起きた話の続きについては語られず、それらの話は全て途中で、つまりマカロニほうれん荘終了時のまま中断している。だが、そこがいいのである。その後彼ら・彼女らがどうなったか描かれていないこと、全て読者の想像に委ねられていることが非常に深い余韻を残している。マカロニほうれん荘はある特定の場所である特定の期間に一度だけ起こった出来事の記録なのだ。この最終回で登場人物達は永遠に読者の手の届かない所に去って行くが、その世界で彼ら・彼女らの物語・日常は続く(続いた)であろう。少なくとも描き下ろされた絵からは、読む者にそう感じさせる最終回だ。
去る前に一人一人のキャラクターが、作者を介さず、まるで本当に存在しているかのように、読者に直接お別れの挨拶をしてくれる。ほうれん荘終盤ではストーリーが優先されていたが、ここではキャラクターが優先されている。このキャラクターの実在感こそがマカロニほうれん荘だ。実在する人間にとってコマ割りは不要なのである。
画面から感傷が制御できずに溢れ出ていて胸を掻きむしられるようだ。173ページで作者が頭を下げているが、全体の中ではこの描写はクールで、悪いけれどむしろホッとする。180、181ページの脇役には欠けている人も何人かいて、その点は非常に残念だ。
最後のシーンは弘美ちゃんである。何故彼女が最後だったのか。わからないし、実際深い意味はないのかも知れない。思い出すのは22話で彼女がほうれん荘トリオ3人を振り返って見るシーン。彼女はほうれん荘を外から見ていたようなところがあり、それがこのシーンにつながっているようでもある。

全ては思い出になった──今は残された写真でかつての彼らを見ることができるだけだ。

 

これで完全に終わったと思われたマカロニの物語だったが、このあと、週刊少年キングに連載中の「AAO」の中で1982年3号(発売は81年末)から9回に渡り、キャラクターが再登場することになる。
私があまり気持ちがのらないのと、全部で9話というそこそこの分量なのに何度も参照できる雑誌や単行本が手元にないのとで、これに関してはここまでのような1話ごとのメモは取らないことにし、全体まとめての感想を簡単に書くにとどめたい。

■「AAO」少年キング1982年3号〜12号

「AAO」は81年47号から連載していた、『くたびれハウス』という喫茶店を舞台にしたギャグマンガで、82年3号は第10話に当たる。それまでのキャラクターや設定を全て破棄し、この回からはマカロニキャラのみの展開になる。「マカロニ2」終了から約1年半後の再登場。
AAO前半の各キャラはマカロニの各キャラに似ており対応関係があるように見えるので、途中で変わったのは必然のようにも思う。
10話当初の絵柄はAAO前半を引き継ぎ、ミス愛子やマカロニ2の延長線上にあるやや少女マンガ風のもの。12話くらいからアメリカンなテイストも加わったガッシリした線になりギャグマンガ然としてゆく。ヘタウマ的な絵はあまりない(頑張って出さないようにしている?)。
話としてはマカロニ2以上にほうれん荘の続編とは呼べない内容で、ただキャラクターとその基本性格が同じだけという感がある。作品世界の中でマカロニ2終了後どれほどの時間が経ったのかも示されていない。
くたびれハウスを舞台にしたAAO前半にもマカロニに変わった後半にも言えることだが、登場人物の生活背景つまり高校生であるとか会社員であるとか、何をして生きている人なのかという設定がほとんど為されていないかほんの形だけで、そこが話に広がりが出ない根本原因だという気がする。マンガの中の世界がキャラクターの生活の場になっていない。私としては、一度話の終わっているマカロニの人物よりもくたびれハウスの人物に清新さを感じたので、話が深化する前に途切れてしまったのは残念である。

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