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マカロニほうれん荘 81〜100話

■081話 四次元飛行船!! 78/12/18(52号)

28話から1年が経過し、再び恋人達で埋まる秋の公園が舞台となる。絵柄がアメリカンコミック風になり、女子大生トリオも面影をちょっと変えている。ルミちゃんの髪はまだ短く、口調や性格もこの回に限って少し違うような……。

7巻90ページ8コマ目、91ページ1コマ目:泉鏡花「婦系図」。

7巻93ページ4コマ目:こういうシルエットの処理が多くなっている。別に手抜きと言いたいのではないが。

7巻97ページ6コマ目:記憶に残る理屈だ。

■082話 栄光の輝き!! 78/12/25(53号)

連載開始直後の4話で出てきた銭湯が再登場。67話、81話に続き一度扱ったテーマを再び取り上げている。それが悪いわけではもちろんない。作風は全くもって休載前のもの。

扉絵:アメリカの高校生のダンスパーティーのよう。

7巻101ページ8コマ目:4話と同じ主人。脇役だからと別人にしてしまうと世界観に小さな穴が開いてしまう。

7巻103ページ8コマ目:ダリ。

7巻109ページ7コマ目:「ブタまん」は関西の表現。九州でも「ブタまん」なのか。

7巻112ページ8コマ目:「ド級」「超ド級」のドはドレッドノートのドらしい。

7巻113ページ5コマ目:何もかもメチャクチャになる終わり方は素晴らしい。

■083話 12月の甘いワナ!! 79/01/01(01号)

また敦子ちゃんの悪巧みの話だが、ちょっとしつこい感じがしなくもない。55話や70話で中嶋姉妹はともに決着がついたような印象があるためだ。50話のアウトテイクのようでもある。ただ週刊誌の読者はどの回から読み始めるかわからないので、ここでこの話というのも悪いわけではない。

7巻119ページ4〜120ページ4コマ目:そうじ・弘美にもたまには喧嘩してもらわないと面白くない。

7巻127ページ6コマ目:馬之介がそうじの位置に入っていくのはこの回からということになる。

7巻128ページ6コマ目:テディ・ボーイ・ギャング団が3回出歯亀的に登場する。これがあるおかげで話がかなり引き締まっている。また、かつて読者の視点だったそうじが今や読者の視線の対象になったことを形で示しているような感もある。アニキは作者の視点に近いかも。

7巻128ページ8コマ目:チャンチャン♪という感じの終わり方で、おとなしい。

■084話 見回り組始末記!! 79/01/08(02号)

かなりまったりした印象の回。A子ちゃんも73話ではたいへん怖いスケ番だったが、ここでは毒が抜けている。

7巻134ページ3コマ目:一例だが、このコマのエキストラ二人のセリフや表情、絵柄など、アメリカTVドラマの翻訳調・アメコミ調に感じられる。休載後その時々で濃淡の差はあれ舞台背景としてこんな感じのものが増えていて、初期からの読者には違和感がある。

7巻138ページ3コマ目:教師二人が夜回りをしているのはいつもと違う趣向で面白い。

7巻139ページ4コマ目:映画「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」(1977年)ジョン・トラヴォルタのポーズ。

7巻142ページ2コマ目:あまりにハッピーエンド過ぎる。

■085話 熱演!マカロニ劇団!! 79/01/15(03号)

スターシステム型スピンオフ作品の5作目。増刊号ではなく本誌への掲載である。童話「シンデレラ」のマカロニ的展開。
女子大生トリオが役にピシャリとハマっていて、元々シンデレラの三姉妹をモデルにキャラクターを作ったのではないかと思えるほどだ。上二人がスレッカラシで末っ子が優しいという話には「リア王」などもあるが、物語によくあるパターンなのだろうか。とすれば、マカロニほうれん荘もそういった大きな物語の特徴を備えていることになる。(由紀子ちゃん・そう子ちゃんを悪く言っているわけでは勿論ありません。)
ページ数は13ページで短め。

7巻149ページ8コマ目:大元の話はどうなっているのか知らないが、日記を差し出すところに新味がある。

7巻153ページ7コマ目:かおりさん男装。ダンスの相手は文子先生のようだ。

7巻154ページ6コマ目:いわゆるアダムスキー型円盤。

7巻155ページ7コマ目:最後はそうじくんとルミちゃんが結ばれる。本編と相手が違う点はスピンオフ作品の醍醐味である。

■086話 永遠のお正月!! 79/01/22・29(4・5号)

昨年同時期の数回と同じく大変年末感が漂っている。登場するのはほうれん荘トリオのみ。

7巻160ページ3コマ目〜165ページ3コマ目:作者一流のスピード感溢れる流れ。

7巻166ページ1〜5コマ目:どことなく欧米っぽい発想のギャグに思える。

■087話 花咲くアップルハウス!! 79/02/05(06号)

7巻179ページ6コマ目:塩を送ったのは上杉謙信。信玄は送られた側。

7巻185ページ1コマ目:雅子さんのご主人が初めて出てくる。息子さんは既に37話に登場しており、その時と比べると大きくなっている。作品内で時間が流れているのである。

7巻185ページ5コマ目:両先生がアップルハウスに来るシーンはここしかない。

7巻186ページ3コマ目:5話に元になったギャグあり。

7巻187ページ5コマ目:小次郎の思いがかおりに届き、彼女もそれを受け入れ始めている描写。大きなストーリーの上ではこの件と七味とうがらしの件が課題として残っている。小次郎・かおりの顛末はここから118話、つまり最後の種明かしまで飛ぶ。

年初編なのでこういう雰囲気もアリかも知れないが、みんな仲が良過ぎほのぼのし過ぎて、悪い意味でも照れくさくなってくる回だ。登場人物間に緊張関係がなくなり、レギュラー陣で物語を作るには煮詰まってしまっている。そもそも理想的共同体を描いたマンガなのでこうなるのは宿命とも言えるのだが。

■088話 下井草52番街!! 79/02/12(07号)

タイトルはビリー・ジョエルのアルバム「52nd Street」(1978年)の日本語タイトル「ニューヨーク52番街」をもじったもの。
これまで基本的に1ページを4段でコマ割りしてきたマカロニだが、ここでは15ページ中12ページが3段割りであり、かなり思い切った実験と言ってよい。したがって1ページあたりのコマ数も減っている。
絵や話の雰囲気はアメリカンコミックのように感じる。

7巻191ページ1コマ目:今回は長いセリフが目立つ。ページを3段に割り1コマが大きく取れたことも関係あるだろう。多分、コマが大きくなったからセリフが長くなったという順番で、長いセリフのためにコマを大きくしたのではない気がする。

7巻191ページ5コマ目:横組のセリフがあちこちにあるのが不思議だ。少しでも絵を優先するためだろうか?

7巻198ページ9コマ目〜202ページ5コマ目:徐々に音数が増え、盛り上がってゆくさまが圧巻! 音楽好きの作者ならでは。というよりこの作者にしか描けないだろう。

7巻199ページ2コマ目:ルイ・アームストロングがモデルかな……特に声が似ている!

7巻202ページ2コマ目:プレスリー。

■089話 美しき食卓!! 79/02/19(08号)

未整理でゴチャゴチャしているがパワフルなハードロックをやっていたバンドがスッキリしたダンスミュージックバンドに装いを変えた、とでも言うべき一編。極めて美しい絵、人物の洒落た動き、軽快なリズム感などからそんな印象を受ける。ある意味、後期の代表作かもしれない。アメリカンコミック的な趣きがあり、ブロードウェイのミュージカルを参考にしてもいるようだ。
ただ、人物が作者にコントロールされ過ぎていて、かつてのような生きて自ら動いている実在感は薄れていると感じる。フロントのキャラクター達だけでない。レストラン店長ほか背景の脇役達の表情なども丁寧すぎ、背景も意識的に描かれすぎて、マンガの作り手の存在の方が気になってしまう。作者本人は以前と同じ感覚で描いているのかも知れないが、上手くなり過ぎたのではないか。
「非常によくできたマンガ」だが、それ以上のものになっていない。こういう回もあっていいとは思うが。

7巻206ページ2コマ目:馬之介の顔が変更された最初の回。また体型も引き締まっている。以後この人は横顔だけの描写になるが、210ページ5コマ目ほか多少の例外もある。バカなことをやる仲間のレギュラーに彼も次第に加わってゆく。

7巻212ページ6コマ目:こういう街の景観がニューヨークの下町を思わせる。行ったことないけど。

■090話 12時間世界一周!! 79/02/26(08号)

ここから単行本第8巻である。8巻の初版は1980年1月5日とあり、連載終了後の発行だ。
カバー折り返しの作者の言葉からは意外に余裕のようなものを感じる。精も根も尽き果てて連載を終わりマカロニのことはもう考えたくないという感じではない。勿論そんなこと思っていても書かないだろうが。
最後はそうじの代わりに馬之介が入って新たなトリオとなったのだが、そこではそうじが三人組の一人と書かれている。

90話だが、ギャグマンガというよりマンガの形をしたイラストとでもいう趣きの一編。作者一流の激しい動きがあり楽しいけれども、ほうれん荘を舞台にした生活ものとは言い難い。

8巻5ページ1コマ目:通りから見たほうれん荘の入口がいつになくはっきり描かれており興味深い。棚にはわされている何かの植物、郵便受け、その下に積まれた廃物に目がいく。郵便受けからは部屋が4つあることがわかる。

8巻6ページ2コマ目:ほうれん荘の住所は「杉並区井草」。

8巻6ページ3〜4コマ目:何故かコマの縦の間が広くなっている。

■091話 根性の法則!! 79/03/05(10号)

扉絵を除く14ページ中11ページが3段割り。
アメコミ的画風で休載前の生活空間を描いている。ギャグは会話中心。

8巻23ページ4コマ目:「昭和ブルース」は当時放映中のTVドラマ「非情のライセンス」の主題歌。

8巻28ページ5コマ目〜:コマが大きくなったせいか、またもセリフの文字数が増えている。

8巻33ページ1コマ目:膝方が宥め役に回っている。

8巻35ページ1〜6コマ目:バックの曲が何だかわからない。

8巻35ページ7コマ目:膝方が常識人っぽくなっている。彼のハチャメチャさが抑えられている回が多いのもマカロニ後半の傾向である。

■092話 悲しきボクサー!! 79/03/12(11号)

今回も殆どのページが3段割りで、これが定着しつつある。
絵は完全にこの時期のものだが、話としてはかつての生活ものに近い。これをかつての絵で描いていたらどうだっただろうとつい想像してしまう。

8巻38ページ2コマ目:ここでやっとほうれん荘トリオの通う高校の名前が判明する。「ピーマン学園」。正直もう少し普通の名前にしてほしかったが、公立のような名前だとそうじがわざわざ九州から出て来たことと整合しないという問題もあるのか?

8巻42ページ:マカロニ後半のきんどーの性格をよく表している計画。前半においてはこんな人ではなかった。膝方同様きんどーの性格変化も激しい。

8巻44ページ1コマ目:プロレスの実況を参考にしている。

8巻44ページ2コマ目:31話から時々顔を出すこのキャラクターの名が明かされるのは初めて。

8巻45ページ1、2コマ目:クマ先生のこういうセリフなどがアメリカ映画吹き替え版のように思える。ドラネコロックの泉屋オヤジも終始こんな口調で喋っているが、何を元にして考えているのだろうか?
それにしてもクマ先生もこんなことを言う人ではなかったのだが。

■093話 大志をいだけ!! 79/03/19(12号)

スターシステム型スピンオフ作品の6作目。いつもながら各キャラクターの使い方が適材適所で非常に上手い。この回もかつての絵で見てみたかった。

8巻53ページ6コマ目:現代物だが世界が違うので、菠薐荘には住んでいない。

8巻60ページ5コマ目:久々にというか、珍しくというか、ハードな雰囲気のテディ・ボーイ・ギャング団である。

■094話 愛の叫び!! 79/03/26(13号)

タイトルはキャロルの曲だろうか。
73話の続編のような話。文子先生と不良学生の対峙。

8巻76ページ2コマ目:きんどーさんの文子先生に対する態度は以前より一貫している。

■095話 ビバ!ひな祭り!! 79/04/02(14号)

84話、87話と同様まったりし過ぎだ。だがそろそろ、そうじとテディ・ボーイ・ギャング団の相互理解は進んでもよい頃合ではある。

扉絵:なんとなく大友克洋からインスパイアされたもののように見える。

8巻81ページ2コマ目:当時「フェミニスト」には「女を大切にする男」という意味もあったようだ。今は女性解放運動家という意味で使われることが殆どと思うが。

8巻87ページ1コマ目:かおりの正確な年齢がわかる。3、4コマ目のセリフを活かすために明示したと思われる。

8巻91ページ2コマ目:118話を読んだ後では、かおりが膝方とペアになって並んでいることを意識しているようにも見える。

■096話 ビューティフルサンデー!! 79/04/09(15号)

「ビューティフル・サンデー」はダニエル・ブーンの曲名。1972年の曲だが、日本では76年にヒットした。
膝方の作ったニュース以外は穏やかで、特にラストは甘い雰囲気。意図的に甘い「バラード」にしているようだ。
4段割り中心に戻っている。

8巻104ページ3コマ目:そうじ・膝方が女性とペアになると、きんどーが孤立して寂しげである。

■097話 かくて忍術映画は終わりぬ!! 79/04/16(16号)

「かくて忍術映画は終わりぬ」という片岡千恵蔵主演の映画(1948年)があるらしいが、どういう内容なのかはわからない。
いつもの面々が映画を撮影しているという変わったシチュエーション。馬之介が前面に出てボケ役になっている。彼の運動能力も高く以前とは様変わりだ。きんどーさんはほぼツッコミ役で、膝方さんはやや影が薄い。

8巻111ページ2コマ目:この頃は時代劇と東映がイメージ的に結びついていたのか。今でも太秦の撮影所や映画村は有名だが。

8巻111ページ4コマ目:ところどころ英語が出てくるのが面白い。

8巻111ページ5コマ目:秋草は「隠密剣士」の主役の名前。

■098話 トシちゃん研究所!! 79/04/23(17号)

きんどーと膝方の会話が殆どを占めている。また、膝方が終始菱形の口で分厚い眼鏡をかけており、普段ならちょろっと現れるだけの人物内キャラ(?)一人が出づっぱりである。

8巻122ページ3、4コマ目:近所の人の名前が出てきて、それなりに地域とつながりがあるのがわかる。

■099話 さらば用心棒!! 79/04/30(18号)

別の世界を舞台にしたスピンオフではないが特殊なシチュエーションだ。マンネリを避けるあまり、話の基盤を目新しくするような回が増えてくる。新しいキャラクターをどんどん登場させることからもわかるが、作者は発想を外側に広げていくタイプなのだろう。だが、日常生活ものというシチュエーションを離れるとこの作品の魅力は減じるような気がしてならない。

8巻145ページ:こんな絵も描ける。

■100話 結婚しますわん!! 79/05/07(19号)

全編中一、二を競うほど衝撃的な回である。
「マカロニほうれん荘」が、その作品世界の中で時間の経過するマンガだということがこれ以上ないほどハッキリと示されているのだ。例えば、ほうれん荘トリオは40才・25才・15才ということになっているが1年経てば41才・26才・16才になるし、そうじや弘美はいつまでも高校生ではなく三年経ったら卒業するし、麻美や熊太郎はいずれ中学生になるだろう。そういう不可逆的変化が起こっている世界、一回性の世界に彼らは住んでいるのである。だからもし読者が現実と虚構の壁を越えて作品内世界に入ることができたとしても、今はもうそこには40年後の彼らしかいないのだ。入りこんだ先が1977年の作品内なら、それから次第に変わってゆくほうれん荘を目にするだろう。いつまでも変わらない世界・永遠の世界がずっと浸っていられる安心を読者に与えるのだとすれば、マカロニほうれん荘の世界はそうではない。そこは現実と同じくいつかは全て終わってしまう世界なのであり、その証拠をこの回は提示している。
これがちょうど100話目であり連載開始2年の節目だというのがまた、特別な作為でもあるのかと勘ぐらずにいられない。

きんどーさんは相変わらず、それ以外の破壊的なギャグは馬之介が受け持っていて、膝方さんはかなり脇役である。結婚式をマカロニ的に展開したらどうなるかと考えたのだろうが、教会、写真、披露宴、旅行出発と枠組にきっちり沿い過ぎているようだ。
また、それなら結婚するのは由紀子ちゃんでなくてもよかったのではないか? 例えば、昔ほうれん荘に下宿していた誰それが結婚することになったので皆で式に出るというような設定ではダメだったのか。作者が何故レギュラーメンバーの一人を選んだのかわからない。さしたる意味はないのか? もしレギュラーメンバーの結婚でなかったら上に書いたことも感じなかっただろう。

由紀子は以後登場しなくなる。52話と同じく、結婚は遊戯や遊び仲間からの離脱という感覚で捉えられている。であれば、そうじが読者や作者の視点を代表しなくなり物語の中心から徐々に離れつつあるのも頷ける。女性と付き合い始めてしまったからだ。結婚すればほうれん荘を出て行き物語に登場しなくなる筈である。クマ先生と雅子さんは例外的だが、この二人は最初から既婚者なので話が別なのではないか。大筋においてこの作品では、笑い・遊びと恋愛とは押しつ押されつ互いにせめぎ合っているように思える。

8巻152ページ1コマ目:きんどーさんの手にしているのはエレクトリック・ギターとバイオリンの弓。ジミー・ペイジがギターを弓で弾く奏法を行っていたことがある。

8巻153ページ4コマ目:ためしに1979年当時の女性の平均初婚年齢を調べてみたが、東京都で25.7才、全国で25.2才だった。きんどーが色々言っているが、仮に婚期とか適齢期などというものがあるにしても、かおりもまだ十分に若い。

8巻159ページ4、5コマ目:膝方がこのような、普通の意味で洒落ていて思い出に残る演出をするとは。彼も変わった。

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