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マカロニほうれん荘 101〜123話

■101話 青春のスケッチブック!! 79/05/14(20号)

この回でちょうど連載開始2周年である。

8巻168ページ4コマ目:クマ先生のこんな表情は初めて。

8巻174ページ6コマ目〜175ページ4コマ目:その後の敦子ちゃん。あの大騒ぎも過去のことになった感じがして、少し寂しい。

8巻177ページ2コマ目:この絵の発想、面白い。

■102話 ちょー人のリング!! 79/05/21(21号)

92話のプロレス版。学校が舞台ではあるが、ここまでくると日常生活ものとは言いづらく、半ばスピンオフである。アニキや馬之介が学校のリングに上がるのが不自然だし、クマ先生も以前ならノセられた結果こうなっていた筈だが、ここでは最初から決められた役割通り動いているようにしか見えず、人間の核になる人格が抜け落ちている。

扉絵:きんどーさんの周りのスミ文字はプロレスラー名とその必殺技。白抜き文字は渾名だが順序はスミ文字の並びとは対応していないようだ。

8巻184ページ3コマ目:表情の面白さ。

■103話 恐怖のラジオ体操!! 79/05/28(22号)

徐々に盛り上がっていく動きはよく計算されている。が、ラジオ体操部分については生活とは関係ない可笑しさである。

扉絵:ドイツのバンド、クラフト・ワークのアルバム「マン・マシーン」(1978年)あたりを参考にしたのではないか? 本編も199ページ以降はなんとなくテクノっぽい。

8巻197ページ3コマ目〜198ページ2コマ目:以前のようなテイストのギャグ。

8巻198ページ4コマ目:「ミス愛子」第1話、つぼみちゃんのセリフに同趣旨のものがある。作者もそうなのかも。

■104話 天才きんどーさん?! 79/06/04(23号)

イレギュラーな回。本当なら物語の中で活かされる筈のギャグだが、上手く組み込めなかったものをバラバラに並べた、といったところか。作者のアイデアメモのごく一部。

■105話 名犬ラッシー!! 79/06/11(24号)

ここから第9巻。カバー折り返しの作者の言葉からは、作者が各キャラクターを自分と別人格と見ていた様子も窺える。

ススキ小次郎の従者ラッシーを主人公にしたサイドストーリー。この喋り方はアメリカのTVドラマなどの影響なのか。以前から見られたものだが、ここでは全編を覆っている。
擬人化された動物キャラ造形の上手さは特筆すべきである。

9巻8ページ5コマ目:雑誌で既刊単行本(1〜5巻)発売のお知らせが掲載されていたスペースで、小口側にあったものがノド側に移されている。

9巻14ページ2コマ目:ジョニーはトカゲかな?

■106話 キチンとしなさい!! 79/06/18(25号)

94話の続編。したがって73話の続編でもある。きんどー・膝方は目立っておらず、不良学生の中の一人に過ぎない。

9巻24ページ:人文字を作って並んでいることより文子先生が電柱に登っているところが面白い。

9巻27ページ7コマ目:菅原文太。

9巻28ページ3コマ目:手塚治虫系統のかわいい犬で最後のシーンまで出てくる。犬の存在、馬之介の登場は話の流れの中であまり生きていないが。

9巻29ページ1、2コマ目:ちょっとメタフィクショナルなギャグ。

9巻30ページ5コマ目〜:オナラネタは尾籠なので避けてほしかったが、子ども読者は喜ぶかも知れない。

9巻35ページ:圧倒的にすごいアイデアであり、メルヘン作家としての作者の本領が発揮されている。

■107話 成り上がれっ!! 79/06/25(26号)

テディ・ボーイ・ギャング団が主役のサイドストーリー。登場するレギュラーメンバーは彼らだけ。バンド活動に関する一編だけにタイトルは矢沢永吉の自伝インタビュー「成りあがり」(1978年)をもじったと思える。文庫版選集ではこれが一番最後に置かれるという洒落た構成になっている。

9巻41ページ1コマ目:この店のマスターは、第70話扉絵の元になっているフィル・ライノットに似ている。

9巻50ページ6コマ目:担当編集者の阿久津氏と思しい。

■108話 ラブ・ドライブ!! 79/07/02(27号)

マカロニ全編中唯一のキスシーン(細かく言えばもう少しあるが)を含む膝方さんとルミちゃんのデート編。二人の会話は非常に面白い。今更言うまでもなく両者とも天然系で、一種の似た者カップルである。

この回と117話とで一組になっているような印象がある。二人の恋の行方に関して出来るところまで話を進めようという作者の意思が感じられ、この回を描いたということは本気で作品の幕引きに入ったということだと思える。編集側も了承していたかも知れない。

9巻57ページ4コマ目:「マカロニほうれん荘」の核心を突いたセリフだ。笑いと恋愛の相克は子どもと大人の相克でもある。

9巻60ページ4コマ目:無論スーパーマンの変身パターン。

■109話 戦う食欲!! 79/07/09(28号)

48話と同じくハイキング編。前半のテイストに割と近く、明るい。作品の終盤に来て弘美ちゃんの出番が増えている。
3段割りのページが半分ほどある。3段割りは4段割りと比べて落ち着きはあるがスピード感には欠ける気がする。また、自由度が増すように思えるので、漫画家にとっては考えなければいけないことが増えるかもしれない。

9巻69ページ5、6コマ目:「三百六十五歩のマーチ」の歌詞のもじり。

9巻74ページ5コマ目:空手家のウィリー・ウィリアムスのこと。

■110話 大空の英雄たち!! 79/07/16(29号)

スターシステム型スピンオフ作品の7作目。第一次世界大戦時のヨーロッパが舞台で、きんどー・膝方はドイツ軍人のようだ。
この頃からまたも絵に変化が起こっており、細部を省略した力強く簡潔な線での表現になってきている。この回はまだアメリカ漫画的テイストが残っているが、それも徐々に消えてゆく。

9巻89ページ2コマ目:そうじが珍しく敵役で登場する。もともと彼は読者の視点を持つキャラクターだったが、この回については彼からその視点が完璧に抜けている。

■111話 妖怪百物語!! 79/07/23(30号)

9巻98ページ1、2コマ目:ここまでこのマンガを読んできた読者には非常に隙間の多いスカスカしたコマに映る。

9巻107ページ1コマ目:「にじゅうごさい」という妖怪の説明が興味を引く。作者は当時21才か22才の筈だが、25才という年齢をこんな風に捉えていたのか?

9巻108〜109ページ:絵がいくぶん雑になっている。

9巻109ページ2コマ目:51話のチャンバラと同じような構図。

この回が特にというわけではないが、マカロニほうれん荘は水木しげるのすっとぼけた作風とどこか通じるところもあるように感じる。

■112話 野球のフィナーレ!! 79/07/30(31号)

61話と同様、野球の話。舞台である野原の背景は殆ど描かれていない。
終盤の回には以前に比べ絵のスカスカしたものが多いが、スカスカだからつまらないというわけでもなく、話次第である。
女子大生はそう子とルミ子しか出てこないが、やはり3人揃っていてほしい。117話も同じで、由紀子の欠落感は大きい。仮にそう子が結婚して離脱していても同じ感じがしただろう。

9巻114ページ1コマ目:最初のコマからクマ先生が登場するが、61話のように子ども達がいるわけでもなく、従来のキャラクター設定からするとここに彼がいる必然性がない。もはや先生という感じがせず、肩書きや生活背景のない不思議なキャラクターと化している。この後の119話でもそうである。

9巻117ページ3コマ目:114ページと比べると膝方はスイッチヒッターのようだ。

9巻122ページ5コマ目:妙な枠なしコマ。時間的に一拍置いているという意味か。

9巻123ページ2コマ目:何とも言えず可笑しいコマ。

9巻125ページ3コマ目:119ページ1、2コマ目とともに、弘美は割と冷静でスポーツができるように描かれている。

■113話 つりはエサ持って!! 79/08/06(32号)

この辺がマカロニほうれん荘最終盤の代表的絵柄と言っていいだろう。アメリカンテイストは無くなり、曖昧なところのないカッチリした線で描かれている。劇画表現が登場する以前の、漫画然とした漫画の画風だ。膝方は菱形の口のみで髪の毛もなく、完全にギャグキャラクターである。
ただし次作「ミス愛子」では再びアメリカンテイストが戻ってきている。作者は常にいくつかの絵柄の使い分けができると思われる。

扉絵:サラッと描いたような絵で、最終回の接近を思わせる。

9巻141ページ4コマ目:マンモス稲子の後ろ姿に何とも言えない寂しさがある。

9巻143ページ1コマ目:メルヘン的なラストである。

■114話 乙女の輝き!! 79/08/13(33号)

(単行本未収録作114、115、116、120、121各話については、ページ数表記は扉を1ページとして数えています。)

絵は少々劇画方向に戻している。
スターシステム型スピンオフ作品の8作目で、主要登場人物はきんどーさん、膝方さん、弘美ちゃんの3人だけ。弘美がピーマン学園でない学校に通い他の二人を全く知らない設定で、大変強い異化効果を持つ一編だ。背景も描かれているが、最後にヒマラヤまで来てしまうことも含め、心理劇的演劇の趣きがある。
女性を弘美にしたところが元の世界との乖離を強く感じさせて成功している。ルミ子やそう子は本編で膝方を好きという設定なのでキャスティングしづらい。膝方の菱形口は封印され、きんどーは胡散臭い髪型だが、それらが緊迫感を生んでいる。

扉絵、2ページ1コマ目:制服がいつもと違うしリボンも付けているので、10ページ4コマ目で名前が出るまで弘美とわからない。

5ページ1コマ目:「金藤」と漢字で表記したのがまた上手い。

7ページ3コマ目:膝方には珍しい表情。

8ページ5コマ目:小振りでライフルみたいにも見えるところが「なさけない」のか?

14ページ6コマ目:スターシステム適用作の中でもとりわけ作り物感の強いこの回だが、だめ押し的に「完」の文字まである。

■115話 ニコニコ大戦争!! 79/08/20(34号)

スターシステム型スピンオフの一種と言えなくもない。登場人物は大勢いるが殆どがきんどーと膝方である。113話を引き継ぐギャグマンガ然とした絵と話で、日常生活マンガとは違うがこれはこれでまとまっており面白い。

4ページ5コマ目:ピップエレキバンの会長が自らTVCMに出ていたことに基づくセリフ?

11ページ1コマ目:漢字の読み方「まんとう」でもいいようだ。

■116話 スイカ音頭です!! 79/08/27(35号)

ページ数12ページ。ラスト1コマにそうじが出るが、殆どきんどー・膝方・馬之介の3人だけで展開する。というか話はほぼ無いに等しい。
膝方は菱形口のみで髪の毛はほとんどのコマで無い。113、115話と同じくシンプルなギャグ漫画的画風である。
背景はあまり描かれていない。ただ画面が白っぽいだけでなく、絵が荒れていて投げやりである。集中力を欠いたままペン入れしている。リアルタイムで読んだ読者も作者の調子が悪いことにきっと気づいた筈だ。

5ページ1、2コマ目:元ネタがあるのか? 不明。

8〜10ページ:手刀でスイカが割れるところを長々と見せている。味わいもなくはないが……。

■117話 ラブリー・クッキング!! 79/09/03(36号)

108話とペアになっているような回で、大半を膝方さんとルミちゃんのやりとりが占めている。膝方さんを巡る恋の顛末、この回がルミちゃん編、次回がかおりさん編。確実に作品の終わりが作者の視野に入っている。
絵の密度が以前ほどないせいもあり、ツノが出たりボンベを背負ったりといった膝方さんの変身が強めの印象を残す。

扉絵:次作「ミス愛子」の主人公・森川愛子が連載に先んじて登場している。この時点で構想がまとまっていたのか、構想がまとまった後でこのイラストの女性を主人公に据えたのかなど全く不明。

9巻150ページ3コマ目:膝方はこの局面でこういうことを言ってしまう。

9巻151ページ3コマ目:これはルミ子の作戦なのだ。きんどー・膝方の遊びの基本はごっこ遊びである。ここでルミ子はままごとというごっこ遊びをしており、だから膝方は最初は抵抗なく参加してくるのだが、晩ご飯ごっこの中にリアルなセックスが配置されているのである。現実が遊びの中に組み込まれている。膝方がごっこ遊びを続けようとすればセックスに応じざるを得ない仕掛けだ。

9巻157ページ3コマ目:初めて聞く話である。きんどーさんの好物ならお馴染みだが。次ページのルミ子の人魚のような図が頭に浮かんでから遡って考えたのでは?

9巻158ページ:振り向きつつではあるけれども、例によって逃げてゆく膝方。何故そこまで女性の愛から、恋愛から逃げるのか? 答が言葉でどこかに書いてあるわけではない。マカロニほうれん荘というマンガ全体がその答になっている。
膝方は恋愛、家庭、幸福といったものと引き換えに遊び、自由あるいは「ちょー人のマジック」「子どもの万能性」を得ており、前者を得れば後者を失ってしまうのだろう。おそらくそれを彼は自分でよく知っている。そして、何度も自身で繰り返しているように既に25才である彼はそろそろ分かれ道に立ってもいる。
一方ルミ子はうっとりと幸せそうな表情をしている。天丼になることが目的化したようなかなり倒錯的な状態だ。膝方は愛を告げられた人間としてこれでよいのか? これが二人の辿り着いた場所だとしたらとても笑えない。強烈なバッドエンディングだ。
マカロニほうれん荘は笑いと恋愛の相克を描いたマンガであり、ここでは笑いが残酷な勝利を収めている。

■118話 最強・最後の決戦!! 79/09/10(37号)

9巻160ページ2コマ目:巌流島の戦いが下敷きにあるようだ。

9巻161ページ7コマ目:何のパロディーだかわからない。キングジョーが大体こんな風だが。

9巻164ページ1コマ目:膝方は驚いているがそれ以上の感情はなく見える。膝方にとって小次郎もかおりも長い付き合いであるにも関わらず通り一遍であっさりした驚き方だ。ちなみに、膝方がかおりを好きという描写は作品全編通して一箇所もない。

9巻172ページ2コマ目:このあとのことはともかく、負けつづけの小次郎が1勝できたのは良かったと思う。

9巻173、174ページ:この2ページにギャグは全く無し。

9巻173ページ:木立が描かれており、かおりがエプロンをしているところからアップルハウス近くの公園と受け取れる。しかしパッと見たところ172ページ下半分や174ページの山中とあまり区別がつかないようにも見える。

9巻173ページ4コマ目:「心に決めた人」という言い方が変に古風で引っかかる。ロック音楽をBGMにしてきたこのマンガだが、自分に気のない相手をずっと待っているなんてロックぽくなく、ここまでのムードと随分違う。

この回は87話の続きであると同時に、14話や52話を受けてもいる。改めてここまで読んでくるとマカロニほうれん荘ラブストーリーの種明かしとしてはこれ以外ないのだろうが、14話や52話を読んでいないと意外に感じると思う。

少し二次創作めくが、そうじ入居前のほうれん荘で何があったか想像してみよう。
14話にある通り膝方とかおりは10年前に出会っている。かおりは嫌悪や反発を感じながらも膝方に魅かれ、ある時(高校入学か卒業のあたりに)自分の思いを伝えたのだと思う。しかし膝方は例によってトボケて誤摩化した。聞かなかったふりをした。かおりは落胆したがフラレたことは仕方がない。問題は膝方がその後もずっと下宿に居座ったことである。自分をフッた相手が常に目に見える範囲にいるのだから、気持ちの整理もつかず忘れることも出来ないし、愛情が消えないために追い出すことも出来ないのだ。以後彼女は慢性的なイライラに悩まされる。
かおりは高校卒業後一旦就職し、3年半ほど勤めて資金を貯め、1年前に(5話参照)アップルハウスを開店する。その間一人二人付き合った男性がいるかも知れない。だが膝方はそういったごく普通の男と人間のスケールが違うのである。誰と付き合っても膝方の凄さが際立つばかりなのだ。邪気がなく、金にこだわらず、ユーモアを忘れず、サッパリしていて、常識を超えており、圧倒的な身体力があり……。尤も欠けているところも多々あったが。
そうこうしているうちにそうじが入居してきた。彼がきんどー・膝方のメチャメチャな遊戯に巻き込まれるのは目に見えていたから、かおりは何としてもそうじを守らなければと思う。何故なら、そうじに万が一のことがあったら膝方を追い出せない自分の責任なのだから……。
そんな想像をすると、この種明かしは連載開始当初から予定されていたもののように思える。

ただ、かおりがずっと膝方を思い続けてきたとすると、読者の目がほうれん荘に入って来る前から結論は決まっておりそれが全編通して隠れながら持続していたことにしかならず、読者が読むことによって作品に関わった感じはしない。その点は不満が残る。もし読者を参加させるとすれば、七味とうがらしを介した二人の描写がさらに必要だっただろうが、七味を活かしきれなかった感がある。

現実の一般論として、膝方のような男性は昔も今も女性の悩みの種ではあろう。結婚を遅らせ続け、自分からはデートにも誘わず、自分の興味の対象にのみ熱を上げ、その対象がまた子どもっぽい。そんな人間に引っかかったら災難だが、そんな人もそれに引っかかる人も常に一定数いるようだ。また、男の側からは膝方のような生き方を理想とする読者もいるだろう。そういう読者にとってマカロニほうれん荘は男の理想郷ということになるのかも知れない。
この作品には、ダメ人間・膝方に引っかかったしっかり者のかおり、可哀想なルミ子といった側面が色濃くあり、身勝手な人間の側の視点が極めて強いマンガであることは間違いない。
ただし弁護するなら、これはあくまでファンタジー作品なのである。

■119話 夏はなにしてるの!! 79/09/17(38号)

前回最後2ページのことなどまるで関知せずに楽しく遊ぶ膝方さん。恋愛や結婚には一切興味を示すまいと心に固く誓っているようですらある。「小次郎がこんなこと言ってたけど、どうなったの?」とかおりさんに訊いたとも思えない。絵も頭身の低いギャグマンガ然とした絵(頭身が低いのは子どもの世界だということ)で、前回のラストとは全く違う。二つのマンガに分裂してしまったみたいだ。実際、ギャグと大きなストーリーを一話の中に統合するのが困難になっていたのかも知れない。

9巻182ページ4コマ目:41話に同じセリフあり。他の回にもあったっけ?

9巻185ページ1コマ目:そうじくんの頭身も低くなっており、この絵では日常生活もののリアリティーは出ない。逆に前期中期の絵柄ならけっこう面白い回になったのではないか。

9巻188ページ6コマ目〜189ページ4コマ目:クマ先生も以前と別人である。でも、連載の終わりにきて、こういうやり返しもあってよかったとも思う。

9巻189ページ4コマ目:二人の態度や話の幕切れも従来と違う。二人は懲りたりはしなかった。

■120話 真夏の夜の夢!! 79/09/24(39号)

「真夏の夜の夢」はシェイクスピアの喜劇。
前回に引き続き頭身の低い絵柄で、膝方は菱形口のみで髪の毛なしだ。クマ先生が一コマと、そうじが若干出る以外ほぼ二人だけ。女性は登場せず。第2話のこの時点での再展開といった風情もある。リズム感は作者ならでは。

2ページ1コマ目:風景が井草近辺と微妙に違う。

2ページ3コマ目:ハンモックで寝ているのも今までと違う。

3ページ4コマ目:ハンモックのフックに手が届かないということか?

5ページ2コマ目:軍人勅諭。

9ページ4コマ目:明治初期の軍歌「宮さん宮さん」の一部を含む。

9ページ5コマ目:こっちの元歌はなんだろう?

■121話 不良はコワイゾ!! 79/10/01(40号)

12ページと短め。不良ごっこである。きんどー・膝方は頭身が低いが、そうじ等は高い。膝方はほぼ菱形口のみで髪の毛もほぼ無し。

11ページ6コマ目:ボボ・ブラジルは日本で人気のあったプロレスラー。

12ページ:変装がきつ過ぎてそうじには二人が分からなかったということだろう。

■122話 トシさまの最後!! 79/10/08(41号)

そしてとうとう、作者に体力・精神力の限界が訪れる。ただし絵については、ここまでの回では細かい描き込みこそ減っていたものの引かれている線は概ね丁寧であり、雑なのは116話、122話、最終回だけだ。
一話の中に統合しづらくなっていたギャグと大きなストーリーを無理に束ねようとした結果、丁寧な線が引けなくなったというのは変な考えだと思うが一応記しておく。

9巻192ページ4コマ目:カレンダー、30日の曜日が間違っている。ちなみに1979年10月は1日が月曜である。

9巻197ページ1コマ目〜198ページ6コマ目:馬之介はかなりヤバい人物になっている。

9巻200ページ3コマ目:107話とは別の店のようだが、右の人物は107話の店の店主のようにも見える。

9巻202ページ5コマ目:七味とうがらしに、そう子は一度(アップルハウスで)、ルミ子は二度(一度は道で、一度はアップルハウスで)、それぞれ会ったことがある。

9巻205ページ3〜5コマ目:号外を撒くルミちゃん。否定する膝方さんの言い分を聞かずに彼女は何故皆に知らせたのだろう? あるいは何故知らしめる役を彼女にしたのか? 117話のことが頭に浮かぶのだが……。あのあと、彼女は膝方を諦めたのではないか? 3コマ目では作者がルミちゃんにどういう表情をさせるか決められずにいるように見える。

■123話 元気でなーっ!! 79/10/15(42号)

最終回である。扉絵は膝方さんのみだ。マカロニほうれん荘はそうじの物語として始まり、膝方の物語として幕を閉じてゆく。

9巻211ページ1コマ目〜213ページ1コマ目:ここで、膝方が七味とうがらしであることを秘密にしていた理由が明かされる。
平たく言って、いつまでも子どもとして無邪気に遊び続けたかったのに権威づけされてそれが出来なくなったのが辛い、ということだろう。彼がかおり、そうじ始め周囲の人々に求めていたのも、常識ある大人として自分を叱り、大きなトンカチでぶん殴り、しかし関係を切ることなく遊ばせ続けてくれ、時には一緒にノって遊んでくれること、であった。彼の遊びにはそんな友人が必要なのだとここで彼自身が吐露しているのだ。こういう25才の「いい大人」(29話そうじのセリフ)を許容するかどうかは人によると思うが、一般的には虫のいい身勝手な要求である。そして自分からは一歩も譲る気はなさそうだ。彼はひょっとすると「子どもの立場」を貫くことが周囲への愛だとさえ考えていたかも知れない。
ただそれなら、膝方はコソコソと作家業を続ける必要はなかったのではないかという疑問も湧くが、どうやら41話や前回に見られる変身は彼の意思で制御できないものだったようではある。
一方かおりにとっては、膝方が七味であったことはかなり良い知らせだった。愛した男が子どもっぽいダメ人間だったのが一転、才能も経済力もある著名人だったのだから。これもまた非常にメルヘン的である。しかもかおりは七味のファンであり、膝方が精魂こめて紡いだ物語に感応している。心の奥深くで二人は結びつき共鳴し合っているのである。
ただ、ここでのかおりは膝方が「立派な」人だったことに主に反応しているようで、彼がその創作物で自分を感動させたことには気が回っていないように見える。勿論人を好きになるのと作家のファンになるのとは別だけれども、多分ここは本当はもっと細かく描かないといけないところなのだ。また細かく描くためには七味の作品の内容にまで踏み込む必要もある。
だが作者にそこまでの余力がなかったのだろう。あと数ヵ月早くこの作品に幕を引き、余裕のあるうちに最終回を描いていたら、より丁寧な描写/内容になったのではないかと思うと惜しい。
ともあれ、ここで膝方とかおりが完全にすれ違う。膝方は211ページ6コマ目で「一例をあげると」と言っているがこれが全てなのではないか。218ページで示されるようにそうじにとっては七味はあまり意味のない存在なのだ。

9巻213ページ3コマ目:かおりに対し怒りの表情の膝方。「豹変し過ぎじゃない?」「こんなことで態度を変えるの?」「地位やお金がそんなに好き?」「家賃さえ貰えればいいと思ってない?」「今まで一緒に遊んできたじゃないか」「今までのオレがそんなに嫌だったの?」

9巻214ページ2、5コマ目:「この町」という概念が初めて出てくるが、実質的には今まで一緒に生きてきた仲間達や、彼らとの間に築かれていた共同体という意味。膝方はそれらを全て捨てようとしている。捨ててもう一度どこかの町で新たな仲間を求めるつもりなのか、どうなのか。
膝方は彼の生き方を貫いたためにルミ子、かおりを始めとする友人達を失った。彼流のやり方で“失恋”したと言っていいのかも知れない。

9巻216、217ページ:右下に現在の三人が描いてある。この見開きの思い出は、きんどーと膝方、特に膝方の思い出なのだ。だから例えば右上の「悪夢だっ!!」のコマと右下の現在の三人とが整合していない。最初マカロニほうれん荘はそうじの視点で始まったが、最終回ではその視点は完全に放棄されている。

9巻218ページ1〜3コマ目:後半やや存在感の薄れたそうじだが、別れの回にあって彼が登場しなければマカロニほうれん荘とは言えない。喪失感に満ちた3コマ目。
この時そうじが膝方の正体を誰かから聞いて知っていたかは描かれていない。ということは、そうじにとっての七味の意味は作者の関心外だったということである。最終的に七味とうがらしは膝方とかおりのすれ違いを表現するキャラクターだった。

9巻220ページ4コマ目:東京とは思えない片田舎の鄙びた夜の浜辺。ここまでの作風からすれば不似合いだが、マカロニほうれん荘というマンガを支えていたきんどー・膝方とそうじやかおり達の関係が無に帰したのだから、ストーリー上は適切なロケーションである。話として少々いびつでもキャラクター達が生き生きと暴れ回っていたマカロニほうれん荘だが、最終回はきっちりしたストーリーでキャラクター達もそれに忠実に動いている。

9巻221ページ:水平線を入れたりすれば多少は開放的なアングルにできた筈だが、真上から描いていて視界は吸いこまれそうに大きな夜の海に占拠される。何となく「カムイ伝」のラストを想起してしまう。シルエットは左からきんどーさん、膝方さん、馬之介、だろう。膝方さんは大きく両手をあげている。「そうじ〜、元気でな〜っ」の声も膝方さんだと思う(きんどーさんなら「元気でね〜っ」)。かくして夢の世界は崩壊し、命の灯が消えるように舞台は静かに暗転する。

 

 

 

 


さてこれで「マカロニほうれん荘」全話について感想を書くことができた。「マカロニほうれん荘」最終回の時点で「ドラネコロック」はまだ連載中、「ミス愛子」は構想中で、それらが全て終了した後に「マカロニ2」が始まることになる。「マカロニ2」が「ほうれん荘」の続編として描かれたことが良かったのかどうか様々に見方はあると思うが、ここでは「2」についても同様に書いてみることにしよう。

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